「古代文字だな」

 石の表面ををさっと撫ぜ、ウターリドがぽつりと呟く。ハーミスが微かに頷いた。
 並んでじっと石を見つめる二人の後ろ、宿の姉妹が不安げな表情で、ひそりと会話を交わす。

「お姉ちゃん、古代文字って何?」
「知らない。ハーミスさんはともかく、どうしてウタが知ってるのかしら」
「さあ……アシャ文字も読めないのに……」
「ちょっと、読むくらいはできるわよ。書くのはけっこう怪しいけど」
「あ、そうだっけ」
「こら、失礼な話をしない!」
 ウターリドが振り返ると、二人は誤魔化すように笑みを浮かべた。
 話を聞いていたハーミスは、驚いた顔でウターリドを見た。

「ウターリド、新文字やってないの……?」
「ああ、必要ないと思ってな。まあ読むことはできるし、不便はねえよ」
「そうなんだ……。ちょっと意外」
 ハーミスが呟く。それに構わず、ウターリドは腕組みをしてうーんと唸った。

「でも、なんでこんな所にこれがあるんだか」
「何なんだろうねえ」
 身を乗り出して、ナージャが石板を覗き込む。
 ナル=スーク市の商人、シャーディーが、以前置いていったこの石板。解読が難しいからと、適当に保管しておいたのだが、まさかこうも簡単に読んでみせる人間が近くに居ようとは。それも、合わせて二人も。
 どこか誇らしげな表情を浮かべて、ナージャは二人の青年を見やった。
 それからまた石板を見ては、相変わらず訳の分からない文字がきちんと整列しているのに眉をひそめて、ふーっと息を吹きかける。それに伴って、細かい塵がぶわりと舞い広がった。

「ねえウターリド、これって何て書いてあるの?」
「そうだな……」
 訊ねられて、ウターリドは顎に手をやり、もごもごと呟く。
「まあ、簡単に言うとシーマファの財宝の在り処が書かれてる」
「財宝?!」
 宿の姉妹が、咄嗟に明るい表情を浮かべて、同時に聞きかえす。
 ウターリドが「ああ」と曖昧に頷くと、二人は互いに顔を見合わせた。

「だってさ、お姉ちゃん。聞いたことある?」
「初耳だわ。……そういえば、昔話で聞いたような気もするけど」
「私そんなの知らない。何なんだよ、財宝って」
「まるで冒険譚ね。本当に昔話みたいよ」
 しきりに頷きあって感動を共有したあと、大きく息を吐き、シャラが問う。

「ハーミスさんは、いや、ウタもだけど。どうして古代文字が読めるのかしら」
 問いかけられた青年は、傍らの友人をちらりと見る。

「昔はまだ新アシャ文字なんて無かったから」
 ぼそぼそと小さな声で、独りごつようにハーミスが言う。
「僕らはこれを頼りに、砂漠を進みました。生き抜くために、必要だったから……」
 だんだん小さくなっていく声を一度切って、顔を上げ、シャラに笑いかける。

「そういうご縁があったのです。ウターリドも僕も、同じ師から多くを学びましたので」
 シャラは目を丸くして、「そうなの」と曖昧な返事をした。

 ナージャも話がいまいち掴めず首を傾げたが、すぐに話を切り出した。
「ここに書いてあること、本当なのかな」
「さあなあ……」
 ウターリドが再び腕組みをして、口を歪める。

「確かに、さっきシャラが言ったように、関連しそうな昔話は聞いたことがある」
「どんな話なの?」
「街で有名な盗賊が、盗んだ財宝を洞窟に隠していて、それを青年が見つけて持ち帰り村の人々に分け与える、といった類の話とかだな。……まあ、変形していろんな形の話が残ってるな」
「盗賊のことも、その石に書いてあるの?」
「ん? いや、盗賊のことは書かれてねーけど」
 ウターリドはハーミスのほうをちらりと見た。
「ここらじゃ盗賊って有名だかんな。伝説に使うには面白い材料なんだろ」
「あ、うん。地域伝承って、伝わった先の土地柄に合わせて変化したりするからね」
 二人の視線が合うと、ハーミスはペラペラと言葉を継いだ。
 それから幾秒かウターリドの瞳をじっと覗き込み、やがて静かに言った。

「偉大なる……が神の富を手にする。オアシスを抱える砂漠の隠し穴。……はオアシスの民に宝を分け与える。オアシスの第二の王となり、民のために生きる。……の宝を神にお返しする。我々は……が再びこれを手にするのを祈って眠る」

 暫しの間全員が口を閉じて、石を眺めた。
 沈黙を破って、ナージャがおずおずと声をあげる。

「……詳しいことは何も書いてないんだね。本当にただの昔話みたいな」
「肝心の主人公の名前が分からないじゃないの」
 しかめっ面のシャラが言うと、ハーミスが石に手をやって説明する。
「この、削れている部分がちょうど、名前が入るはずの場所になりますね」
「誰かが意図的に消したんだな。削られちまうと手がかりが残らねえ」
「あら、残念」
 シャラはふうと息をついて肩をすくめた。

「ハーミス、どうする?」ウターリドが不意に元気な声を出す。
「せっかく良いもの見つけたんだし、俺とお前でいっちょ行くか、お宝探し」
「……君は本当に冒険が好きだ」
 ハーミスが微笑む。
「そうだね。まずは裏を取ってからかな……。僕は歩き回るのは好きじゃない」
 言うと、ウターリドは額に手をやって、大げさにため息をつく。

「そう言うお前は本当に勉強が好きだな。時間は大丈夫か?」
「僕が観光客になるのは1週間の約束だ。残り4日。シーマファに図書館はある?」
「お前んとこほどデカかねーけど、図書館ならあるぞ」
「オールド・シーマファの寄付制資料館?」
「それ。あと、神殿が抱え込んだ古い書物がそのまま手付かずだ。いけるか?」
「いいね。存分にやらせていただこう」
 ウターリドが「そう来なくっちゃな」と拳を突き出すと、ハーミスも拳を作って、こつんとぶつける。
 ナージャが興奮した様子で、早口でまくし立てる。

「えっ、えっ。二人は伝説の洞窟を探しに行くの? すっごく楽しそう。私も行きたい!」
「おう。体力に自信があるなら着いて来な。ハルがいりゃあ疲れたお前を抱いてでも連れて帰るだろうけど、残念ながら俺らはそんなかっこいいことは出来そうにねーわ」
 ウターリドが豪快に笑うと、ナージャはちょっと頬を膨らませた。

「とりあえず明日は、ハーミスの仕事で終わるだろうよ。な、ハーミス?」
「そうだね。明日一日いただければ、片をつけてみせるよ」
 どこか得意げな表情で、その青年は微笑んだ。
「シーマファの文人たちが本をきちんと整頓していてくれれば、だけど」
「おっし。俺はとりあえず明日はこいつを手伝うかな。ナージャも暇ができたら来いよ」
 ウターリドが言うと、ナージャは嬉しそうに「うん!」と頷いた。
 それを聞くなり、シャラは短くため息をつく。

「本当に男の子みたいなんだから。仕事は私に任せていいから、いってらっしゃいな」
「ほんと? ありがとう、お姉ちゃん!」
 ナージャがシャラに抱きつく。シャラがその頭をぽんぽんと撫でる。
 うーんと伸びをしてから、ウターリドが自分の腹をさすった。

「腹が減ったな。今日はひとまずここで切り上げて、飯にしようぜ」
「そうね、そろそろいい時間だわ。今日は早めに夕飯の支度をしましょ」
「私も手伝うよ」

 三人がぞろぞろと階段のほうへ向かう。
 ハーミスは一人その場に残り、最後尾を行くウターリドの後姿をぼんやりと眺めていた。

 が、彼がそれに気付いて振り返ると、にこりと笑って小走りに列に続いた。