オアシスの兄弟の話
オアシスの街、シーマファ。
旧アシャ領の南部テロイド沙漠に位置し、重大な交易路の要衝にあたる都市。
この地を訪れた旅人や商人の疲れを癒すのは、その豊かな水資源である。この清らかな水は勿論、定住者の人々にとっても不可欠で、人々は毎朝水汲み場に訪れては、かめや木の桶を満たして満足そうに帰ってゆく。シーマファの泉は有史以来の三千年間、一度も水を枯らした事がないという。
物語の始まりは、そんな水汲み場のうちの一つ。
とある隊商宿が買い取った井戸で、大声で話をする老婆と少女の姿があった。
「だからね、都へ行く隊商は週イチで――」
「明日には向こうへ行かなきゃいけないんだ。早くラクダを出してくれ」
「次の便は四日後なんだよぉ」
「あたしゃ、孫の結婚式へ行くんだ。花嫁姿を見逃したら、どうしてくれるんだい!」
老人が杖を振り回す。
少女はすっかり困り顔で、抱えた水かめに視線を落とした。彼女の家は、この井戸の持ち主である隊商宿。今朝はとくに飲料水を沢山使ってしまったので、昼食までにと二度目の給水にやってきたのだが。
外へ出たところをこの老人に捕まり、先程からずっと愚痴を聞かされているのだった。
「この街も定期便を増やさないと。不便で仕方がないね」
会話を諦め、無言で水を汲み始めた少女の横で、老人が大きくため息をつく。
老人は荷物をさぐってナツメヤシの実を取り出すと、水汲み場に両手をつっこんで実をじゃぶじゃぶと洗いはじめた。少女は水がいっぱいに入ったかめを抱えて、この老人をどうしようかと、じっと考え込む。考えるうち、彼女の視線はしだいにその果実のほうに吸い寄せられ、思わずつばが出てくる。
「ナージャ!」
二人が並んで無言で座っていると、突然背後から声がした。
「ここにいたの。どこまで汲みにいったのかと思った」
「お姉ちゃん!」
振り返るなり、少女は満面に笑顔を浮かべて、現れた女性に駆け寄った。
老人はその女性――豊満な身体つきの金髪の美女と、ナージャと呼ばれた青髪のやせっぽちの少女を見比べて、「お姉ちゃん?」と呟いた。どうにも、姉妹というには違和感のある、似ても似つかない容姿の二者だった。
女性が老人を一瞥すると、ナージャは慌てて説明を入れる。
「このおばあちゃん、明日までにアッズィムまで行きたいらしいんだけど」
「アッズィムへ? 急いでも三日はかかるわよ」
「うん。だけど、明日がお孫さんの結婚式らしくって」
「明日じゃなきゃあ駄目なんだよ!」
老人が杖を振り回しながら、話に割って入る。
話を受けて、女性は自信たっぷりに笑い、老人のほうへ向きなおった。
「大丈夫。あなたは幸運だわ、明日には都にいるはずよ」
驚く老人とナージャに、女性はウィンクしてみせる。
「最速の騎馬民族がお帰りになるわ!」
夕陽の赤に染まる街はがやがやと活気づく。
昼間のうちには多くの市が並び、露天商が所狭しと絨毯を並べていたその大通りは、華やかな飲食街へと姿を変えた。夜店や酒場のあちこちから、愉快な歌が聞こえてくる。宴会にはまだ早い時間ではあったが、この週末を働き抜いた人々に、夜を待つ理由はない。シーマファの繁華街の、長い長い夜がやってくる。
その雑踏から少し外れた、城門へと続く道のわきにある酒場で、ナージャとその姉シャーラザッド、そして昼間の老人が、大きなテーブルを囲みながら、じっと通りを眺めていた。香辛料と焼きたてのパンが香る店内には他の客も居たが、別段騒ぎ立てることもなく、ゆったりと食事をとっているようだった。
老人は退屈そうに視線を泳がせたあと、姉妹に話しかけた。
「あんたら、似てないけど姉妹なんだね」
「よく言われるわ。それ」
苦笑しながら、シャラが答える。
「この街に住んでるのかい?」
「ええ。隊商宿で働いてるわ。さっきの井戸のあったとこ」
「そうかい。あんた、そんな身なりだから、娼婦か何かだと思ったよ」
悪気があるのかないのか、言うなり老人はまた通りを見やった。
シャラは笑顔を引きつらせて、別な服を着てくればよかったわ、と内心で舌打ちした。
なるほど彼女は、ズボンこそすっぽりと脚を隠しているものの、上半身は胸を隠すばかりの布地の少ない服を着て、大胆ないでたちをしている。娼婦というより、今日人気を集めている"踊り子"の衣装に近いだろうか。
ナージャは会話を聞き流しながら、コップを手に取り、冷たい水を一口飲んだ。
その瞬間、彼女が盛大に水を吹き出す。
「何やってんだ!」
驚く老人。少女は興奮したようすで腕を振り回した。
「隊商が帰ってきた!」
「あら、本当!」
シャラも立ち上がり、城門のほうを見る。
シーマファの城壁の一角、帝都に繋がる街路へと続く一際大きな門。
出迎えに集まった人々から歓声があがり、門戸が大きく開かると、いっとう場が騒ぎはじめる。
まず馬に乗った数人が街へ入り、ラクダの列がぞろぞろと後に続いた。
「ああ、壮観だねえ……」
老人も窓の外を見ながら、ぽつり呟く。
門に一番近いこの酒屋にも、通りの喧騒が筒抜けに入ってくる。
そわそわと様子を見ていたナージャがついに立ち上がり、「ちょっと待っててね」と老人に声をかけるなり、駆け足で店を出ていく。今しがた入門した一行の輪に飛び込み、大声で名前を呼びながら、誰か人を探しているようだった。いくら人に揉まれても、彼女の瞳はきらきらと輝いていた。
老人が喧騒を避けて、道端の椅子に腰かける。その隣にシャラも座った。
「隊商なんて珍しくもないのに。えらい歓迎だね」
「だってカウィ族の隊商ですもの」
どこか誇らしげに、シャラが答えた。
「カウィはずっとこっちで、シーマファの警備兵団や隊商を手伝ってたでしょ。それが今度アッズィム商会と契約して、向こうの護衛になるのよ。彼らがこの街へ帰ってくるのは、今日が最後なの」
だからああして街の皆で労ってるのよ、と彼女は笑った。
話半分にそれを聞いて、老人が浅く頷く。
「あんたの妹は何しに出てったんだい」
「兄を迎えに行ったんだわ。カウィの族長なの」
ちょうどその時、人の波をかきわけ、ナージャが二人の男を連れて戻ってきた。
紫色の髪の、褐色肌の男と、もう一方は赤色の髪に赤色の瞳――この色は騎馬民族カウィの人々の、言わずと知れた特徴であった。シャラが立ち上がり、続いて老人もおもむろに腰を上げ、二人の男性をまじまじと眺める。
「こりゃまた、兄というには全く似てないね」
「話は聞いた。アッズィムへ行きたいという老人は、あなたか?」
赤髪の青年が話を切り出すと。老人が深く頷いてみせた。
その青年は何やら考え込み、隣の男に話を振る。
「急ぎなら少人数のほうがいい。お前は残れ」
「いいのか? 疲れてるだろ」
「いい。お前がついてきたら余計に帰りが遅くなる」
彼の言葉に、褐色肌の男は肩をすくめた。
男が振り返る。老人と目が合うと、人好きのする笑顔を見せた。
「ばあちゃん、安心しなよ。あいつの馬は本当に早い。その分、乗り心地は悪いがな」
「余計なお世話だ」
青年が舌打ちすると、男は大声で笑った。
「あんたが送ってくれるって?」
老人が青年に声をかける。青年はこくりと頷いた。
「カウィ族のハルーフ。普段なら個人の仕事は受けんが、今回は頼まれてやる」
「ありがたいねえ。カウィの族長って、あんたの事か」
「次期族長、だ」
ハルーフは素っ気なく答えるなり、ちょっと待ってろと言い置いて、再び人ごみに消えた。
老人はふむ、と顎を撫ぜ、残った男のほうを見た。
「あんたも隊商の人間か。商人なのかい?」
「俺は違う、警備兵だ。沙漠の案内役を頼まれたんで、途中まで迎えに行っただけ」
「警備兵にしちゃだらしないね」
「力の抜き方を知ってるだけさ」
男がへらへらと笑う。老人は呆れ顔でそれを見た。
話しているうちに、ハルーフが少年を二人連れて戻ってくる。
少年たちは老人に軽く会釈をするなり、ナージャの頭を順にわしゃわしゃと撫でた。
「わわわ、なんだよ!」
「挨拶、挨拶。アニキの真似」
「ウチの代わりにナージャが行ってよ」
「何日かかるんだよ。早く行け!」
ナージャが悪態をつくと、少年達は声をあげて笑った。
陽気に騒ぐ彼らをよそに、族長ハルーフは老人に向き直る。
「乗り心地が良くないのは本当だ。急ぐなら尚更。耐えられるか?」
「急いで、どのくらいで着くんだい?」
「一晩中走れば昼前には。だが、慣れない奴が乗ると内臓がぐちゃぐちゃになる」
「孫の花嫁姿さえ見られれば、寿命が縮んでも構やしないよ」
老人が豪快に笑うと、ハルーフは頷き、背後にいた少年達の首元を引っ掴んだ。
「何するんだよアニキ!」
「こいつらの馬か俺の馬、好きなの選べ」
「子供に任せるのは気が進まないね。あんたの馬に乗るよ」
「分かった」
ハルーフが荷物を預かり、自分の馬に老人をまたがらせた。
シャラが申し訳なさそうに、青年の肩をたたく。
「悪いわね、帰ったばかりなのに」
「別に。ナージャが言うから仕方ないだろ」
青年はぶっきらぼうに答え、傍に居たナージャの頭を撫でる。
「帰ってきたら、またお土産見せてね」
「待たないで開けてもいいんだぞ」
「駄目だよ。お兄ちゃんに貰うから意味があるの」
ナージャが笑いながら、ハルーフの頭を撫でかえす。
広い沙漠を駆け抜けた族長の髪からは、砂塵がぱらぱらと落ちた。
一行は人混みを避けつつ移動し、門の外で向き直る。
「親切にしてくれて、ありがとうね」
場の面々に向かって、老人が声をかける。
「他には誰も聞いちゃくれなかったのに。あんたら皆に、アッシャムスの加護がありますように」
「ええ。ご婦人、あなたにも。道中どうか気を付けて」
シャラが柔らかく微笑む。
「いってきます!」
「行ってくる」
「いってらっしゃい!」
三頭の馬は足早に去っていく。西から照らす夕日が、彼らの陰を砂上に長く伸ばした。
「さて、と」
砂埃が遠く消えるのを見届けると、残された面々は顔を見合わせた。
「ウターリド、おかえりー!」
「おう、ただいま!」
ナージャが勢いよく飛びつくと、褐色肌の男、もといウターリドも嬉しげに彼女を受け止めた。
それを眺めるシャラもまた嬉しそうに、何度も頷く。
「お兄ちゃんには申し訳なかったね。あと、フォボスとダイモス」
「まあ、困ってるとこ放っておけないもの。帰ってきたらまた謝りましょ」
「その件だけど、たぶん結婚式とやらには間に合わないぜ」
「ええ!?」
ウターリドの言葉に、姉妹が大声をあげる。
大きく伸びをし、首を回しながら、ウターリドが唸った。
「ハルの馬は確かに早いけど、本当に夜通し走ればの話だ。カウィ族ってのは、一人が数頭の馬をもって、それを乗り換えながら進むんだよ。あのご老体で、土煙を浴びながら、果たして耐えきれるかねえ」
「なんだよソレ、詐欺じゃんか」
「そうよ。休みながら走っても、カウィの馬ならきっと間に合うでしょ?」
シャラの言葉に、ウターリドは呆れ顔で、首を横に振った。
「あのなあ。今時、カウィの馬ってやつを過信してるのは、シーマファの人間だけだぜ」
演技っぽく、男は食指を立てる。
「ずっと昔っから評判が良いんだから、皆カウィの馬が欲しいに決まってるだろ。建国時代、軍が馬を買い取って、それを更に改良したのが国全体に広まってんだ。勿論、カウィ族の作る優れた馬具も手に入れた。今じゃ、速度の試される場面で乗るのはみんなカウィ馬の子孫なんだぜ。このご時世、カウィだけがやたらめったら早いってわけじゃないんだよ」
「あーあ、出た出た、ウタお兄さんの建国史講座」
「本っ当に昔話が好きだよねえ」
宿姉妹がそっぽを向いて歩き始めると、ウターリドは慌ててそれを追いかける。
「なんだよ。いい加減に現実を知れよな、オアシスの箱入り姉妹め!」
「外の話なんてどうでもいいのよ。男が勝手にやってりゃいいでしょ。ね、ナージャ」
「私はちょっと気になるなあ」
「こら、お姉ちゃんに味方しなさいよ!」
談笑しつつ、一行は横に並んで歩き始めた。
市街地に入ったところで、良いこと思いついた、とシャラが足を止める。
「ね、どこかで夕飯食べて帰りましょ」
「外食するの? 久しぶり!」
ナージャが浮足立つ。先程から、辺りの飲食街の匂いに辛抱たまらん思いだったのだ。
姉妹は期待のまなざしで、残る一人を振り返った。
「はいはい。俺が奢ればいいんだろ」
「よっし来た。久々にウタとお酒が飲めるわー!」
シャラが両腕を振り上げる。
一方のナージャは一転して微妙な面持ちを浮かべて、「お、お酒飲むのぉ……?」と力ない声を出す。この二人が酒盛りをするなら、絶対に朝まで続くんだろうな。それで、私が店主に怒られる――酒豪のその男女の、過去の行いを振り返って、ナージャは大きくため息をついた。
「ま、いっか。奢りだし」
「ん? 何だって?」
「ううん。なんでもないよ」
めいっぱい食べちゃお、と呟いて、ナージャは楽しげに二人の手を握った。
「ハルはいつごろ戻るかしらね」
シャラが言う。うーん、とウターリドが唸った。
「向こうで一休みするとして、明後日の夕方あたりか?」
「今日と同じくらいの時間になるのかな」
「じゃあ、ハル達が帰ってきたら、またすぐ宴会ね」
転勤前に景気づけよ、とシャラが笑った。
太陽が、西の地平線に呑まれかけている。街は暗い橙に染まり、その中にいくつも灯りがともされた。
今夜は長い夜になる。シーマファの街に、楽しい週末がやってくる。
肉屋からくる香ばしい匂いを嗅ぎながら、ナージャはひとり微笑んだ。