追憶、然る"永遠"の話
金色の中に、黄褐色の肌がよく映える。
光を背負った"王"のお姿はあまりに眩しく、思わず目を細めた。神々しい、という言葉が相応しい光景。これまでの道程、切に切に唯一願い続けてきた世界が、今、目の前に広がっている。
白昼夢然としたまばゆい視界。今まで歩んだ道の険しさとか、長さとか、あらゆる事が最早どうでもよく思える。
他人に跪くという行為が、これほど幸福になり得る瞬間が、他にあるだろうか?
主人に頭を垂れる場面はこれまでにも幾度となくあったけれど、今日ばかりはその重みが違うのだ。良しと言ってもらえるのなら、這いつくばってその足甲に何度だって口づけしてやりたい気分だ。仲間と抱き合っておいおい大声あげて泣いたっていい。俺は今、どうしようもなく嬉しい。
ハウディ王はゆっくりと目を開いた。
その視線がずらり並んだ兵を見やる。目が合うと、こそばゆい喜びが全身を駆け抜けた。
ちらり、横目で友人を見る。
彼の頬には一筋の涙が滴り落ち、それが金色の光に美しく輝いた。かたく結ばれた唇。まなざしは真っ直ぐに己の主人を捉え、瞬き一つする事はない。
その横顔を見るうち、こちらまで思わず泣きそうになる。リドワーンが泣いているのを見るのは随分と久しぶりだ。昔はあんなに泣き虫だったのに、いつからか強くなって、誰よりも鋭く言葉を砥いでいった親友。もう泣かないと決めたあの日も、きっと大きすぎる壁を必死で超えてきただろうに、それを打ち砕いて今、彼は涙を見せている――リドの心内を汲もうとして、とうとう湧いた涙で視界がぐらりと歪んだ。
主は徐に立ち上がった。
お願いだから、まだ涙が落ちないでほしい。
揺らぐ視界に瞬きを堪えながら、その顔を見上げる。徐々に鮮やかになっていく世界の中に、見慣れた凛々しい表情があった。
「皆、よくここまで着いて来てくれた」
芯に響く心地よい低音。握った両手に力が入る。
「私がかつてこの地を立った時、共に歩みだしてくれた者達。
お前達には如何に感謝を述べたら良いのか分からない。諸君らの尊い時間を、この私に与えてくれてありがとう。これからは私が、お前たちのために生きよう」
王は力強く両腕を広げる。白い衣装が日に透けて眩しく輝いて見える。
涙は勝手に流れてしまった。ぼたぼたと、襟元にぶつかったそれが小さく音を立てる。誰もが"王"に釘づけなのだ、いま泣いてたって誰にもからかわれやしないだろう。
静まり返る議堂で、再び主人が口を開く。
「そして方々の地にて、我々を迎えた者達。
我々はもはや他人ではない。この地で我らは兄弟となり、家族となる。共に戦った日々を、決して忘れず生きよう。私と諸君らは、アッシャムスによってその籠を賜る"アシャ"の同胞である。
流れた血と涙は我が国の礎となる。
長い歴史で積み重ねられた念はすぐに消えるものではない。しかし、そこに新たに物語を紡ぐのだ。嘆きと祈りをすべて抱いて、歓びへと変えるのだ」
主人は今一度呼吸を整える。
重い沈黙の中、すう、と息を吸い込む音までもが間近に聞こえるようだった。
「アシャの民たちよ」
迷いのない声。緊張に息を詰まらせつつ、俺達も深呼吸した。
「安息せよ、我らの戦いは終わった。
祝福せよ、今日こそ我らの"終わり"と"始まり"の日である。
括目せよ、諸君の国と、王と、その国の歴史を」
その拳が大きく掲げられる。金色の中へ。光を背負った主の姿。
「アーシャ=ハウディ王の名において。今ここに、"アシャ帝国"の建国を宣言する!」
「万歳!」
「ハウディ王、万歳!」
石の間に歓声が響く。
跪いたまま泣き崩れる者、立ち上がって仲間を肩を抱き合う者。両手を振り回して興奮を露わにする者。蜂の巣をつついたような騒ぎ。何処かで誰かが、アッシャムスの讃美歌を歌い始め、多くの声がそれに便乗した。
俺はそこに混ざれず、王を見上げたまま泣いた。
俺の主人が、俺たちの"王"が、本当に一国の王になるんだ。
有史より頑として「国家」という選択を避けて通ってきたこの地に、ひとつの国が生まれる。沙漠を生きる数多の民族が、都市を築いた諸文化圏の人々が、アッシャムスの名のもとに同じ盃を交わす。そんな、夢みたいな本当の国。
その頂点に立つのが、俺たちの"王"なんだ。
ハウディ王を胴上げせんと集まった面々を、笑顔のままでネメシスが小突き回す。なんだかこれはいつも通りだな、と思って笑うと、急に気が抜けた。あのおっかない指揮官は、盗賊団の同胞やハウディ王にその功績を労われ、やっと柔らかな微笑みを見せた。今までに見た事のない、満足げな、幸福そうな笑顔だった。
ふと、王がこちらに視線を向ける。軽く上げたその手が俺の隣を指す。肩をすくめられ、不思議に思ってそちらを見ると、リドワーンが床に崩れ落ちていた。
ああ……と思いながら、その背を叩く。
嗚咽が漏れる。ひっく、と肩が大きく震えた。
「大丈夫か」
声をかけると、勢いよく上体が跳ね上がる。
涙でぐしゃぐしゃのその顔を、容赦なく両手で拭うも、いくらでも涙が追って湧いた。前髪がじっとり濡れている。リドはまた顔を覆い隠して、言葉にならない声をあげつつ俯いた。
後ろ頭をぽんぽん撫でる。リドワーンは大きく何度も頷いて、今度こそしっかりと顔を上げて、真っ直ぐにこちらを見た。
両目いっぱいの涙が零れる前に、その肩を抱き寄せた。
「リド、ついに叶ったんだ、俺たちの夢が」
「うん」
「俺たちの王が、俺たちの国が!」
「うん」
「ほら、みんな待ってるから。一緒に行こう」
友人はこっくりと頷いてから、両手で目を覆ったまま、大きく息を吐いた。
先に立ち上がり、掌を差し出す。リドワーンが握り返したところで、勢いよく引っ張り上げた。リドはぐずぐずの鼻をすすりながら、前髪を乱暴に整えた。
並んで立ってみると、頭ひとつぶんくらい、リドのほうが高い。
この身長差も昔は逆だったんだ。こいつはずっと小さかった、いつの間にか抜かれてしまったけど。それだけ長い間、俺達はあの沙漠を駆けていた。
でも、こういう時の役目はやっぱり相変わらず。あの日と同じ。
ハウディ様を追いかけて、古い住処を飛び出した昔々のあの日。泣き虫で弱っちいリドワーンの手を、俺が引いてやったんだ。そこから全てが始まったんだ。
今一度のばした手を、友人はしっかりと握り返した。
二人で一緒に前へ踏み出す。
王は俺達のほうをしっかりと見て、悠然と構えていた。
その足元に膝を折る。こちらの様子を見ているのかいないのか、周囲の騒ぎは少しも治まらなかったけど、俺達とその空間との間に見えない壁があるように感じた。なんかこう、特別な時間が流れているような。
主人の優しいまなざしが、俺達の目と目を順に撫ぜた。
「ハウディ王よ」
リドワーンが口を開く。
いつもどおりの凛とした声で。けれどいつもより力強い調子で。
「これまでお側に置いていただき、私は本当に幸福でした。
今日の貴方の御姿をこの目に焼き付けられたこと、王となった貴方の言葉をこの耳で聞き届けられたこと。如何様に言葉を選べば、この感謝をお伝えできましょうか。もはやこの口で表せるものではないのです。どうか、この心を受け取ってください。
私達は国の僕、そして貴方の駒です。
どうかお赦しください。我々がこれからも、貴方と歩みを共にする事を」
口を挟む隙はない。言いたい事はいつだって同じだ。
リドワーンの言葉のあと、王は静かにその場にしゃがみ込む。慌てて制止しようとした俺達を、後ろに控えたザラームがまあまあ、とあしらった。
繊細な模様を描く装飾床に、ハウディ王が膝を落とす。
その瞳にうっすらと涙を浮かべながら、王は俺達の顔を交互に見た。
「この愚者が大願を成したのは、お前達の助力あってこそだ」
恥ずかしながら、私にも言葉が見つからない。そう言って、王がふと微笑む。ぴったりと床につけた拳を、リドがぶるぶると震わせた。忽ちべそをかく俺達の脳天へ、ハウディ王の両手が伸びてくる。ふわり、と暖かな感触があった。
「ありがとう。私の元を選んでくれて。
子どもを連れまわして巻き込む事を、ずっと心苦しく思っていた。だが、気付けばこんなに大きくなったんだな。私についてくるどころか、私をたすけ導くほどに、立派になって。
己の選択は間違っていなかったのだと、胸を張って誇れる」
生温かい塊が、頬を伝っていく。
「これ以上お前達を縛る事はしたくない。が、いつまでも手放したくない思いもある。傲慢な主に仕えたものだと、嘆くだろうか」
いいえ、と小さくリドワーンが答える。
「ヘイダル、リドワーン。これは命令でなく嘆願だ。
どうかこれからは私のためではなく国のために、共に力を尽くしてほしい」
音もなく、ハウディ王の頬に一筋の涙が落ちた。
それを追って俺もどばどば涙が出る。無論、リドも洪水に見舞われた。なんで泣くんですかぁ、と情けない声色をあげながら、ふたりで主の懐に飛び込んだ。本当だな、と言って笑いながら、ハウディ様は頬を拭った。わんわん泣く俺達を、ふたたびその手が優しく撫でる。これまでの全てが報われる思いがした。
いや、報われたんだ。本当に、すべてが。
こちらの様子を見ていた周囲が、つられて泣いたり、大声あげて囃し立てたりしながら、がやがやと寄ってくる。
お前も行けよ、と肘で小突かれて、ネメシスは気だるげに肩をすくめた。それでもこちらに近づいてきて、ハウディ様のそばにしゃがむ。俺が飛びつく。ちょっと乱暴に、面倒くさそうに、ネメシスの手が背中をぽんぽんと叩いた。盗賊団にいた仲間たちが、この世にも奇妙な構図に興奮して、大声で笑い騒いだ。
どっかの国の王族が見たら、顔を顰める光景だろうか。国王が従者に向かって膝をつくなんて。とんでもないと怒るだろうか。馬鹿げていると笑うだろうか。
それでも俺達にはこれで良いんだ。
同じ場所に立って、同じところを目指して、ずっと走ってきた。いつでも肩を並べて。互いの言葉で通じ合って。砂埃にまみれて、ちっともかっこよくなんかなかったけど。両手はいつでも血豆だらけで、狡い事も、非道い事だって沢山してきたけど。
結局それは全部、この瞬間のためにあった。
正解も間違いも無くていい。俺達がここに幸福を見出した。それでいいんだ。
これはひとつの終着点。それから、今から始まる全てへの出発点。
今日この場所の光景を、たぶん一生、忘れる事はないと思った。
「ツイてないよなぁ。お前と離れるなんてさ」
眩しい白の庭園。中心にある大きな噴水の傍で、両腕を振り上げる。
リドワーンはきょとんとした顔でこちらを見た。俺は大げさにため息をついてから、ふちに座る友人の横に腰掛けた。
「ワーヒドから帝都まで何日かかるんだよ。やっと遊ぶ時間が出来たのに」
「いやいや、どうせこれからも遊ぶ時間なんか無いでしょ」
唇を尖らせ抗議を示すと、リドは肩をすくめた。
「陛下の話を聞いてなかったの。ワーヒド市は南部の要衝だから、国境警護で大切な砦になる街なんだよ。君の腕を信用しているからこそ――」
「あー、解ってるってば。でも俺だけ僻地は嫌じゃん」
「自分で都市を育てていけばいいんだよ」
「はあ? 簡単に言うなよな」
リドワーンがふふっと笑う。つられて、俺も笑った。
新しく支給された制服がよく似合う。まじまじと眺めると、リドはぱちくりと瞬きした。黒を基調とした柔らかな布地に、金の縁取り。西方諸国の衣装をまねた意匠に、"アシャ"らしいゆったりとした作り。軍人も官人もみんなが身にまとう、この国の人間のための制服だ。
「俺さあ、ちゃんとコレ似合ってる?」
「何の話?」
「制服のはなし」
答えると、友人はうーん、と顎に手をやる。
あんまりかな、との返答に肩を小突くと、リドワーンは愉快そうに笑った。
「ヘイダル。どうせ議会は定期召集なんだから、いつでも会えるよ」
リドワーンが言う。
「それ以外でも、何かにつけて呼び出してやるから、頑張って駆けつけてね」
「帝都の総督さんは良いよなぁ、自分は沙漠越えしないんだから」
「まあ、他にやる事が多すぎるからねぇ」
言いつつ、リドは目を細める。遠くを見やるその視線に、すかさず背中を叩く。うわっ、と間抜けな声をあげて、勢いよくこちらを振り返った。俺は両手をひらひらと振って、思いっきり笑ってやった。
「それもまた"腕を信じて"ってやつだろ。俺の街へ名声が届くくらい頑張ってもらわねーとな。期待してるぜ、リドワーン総督」
リドは一度目を見開いてから、いつものようにふにゃっと顔を綻ばせた。
「勿論。陛下の事は僕とネメシスに任せて。君の名前を聞くのも楽しみにしてるよ」
「まーかせとけって!」
ふと、正午の礼拝の鐘が鳴る。大堂への召集の合図だ。
同時に立ち上がり、真っ直ぐ同じ方へと歩く。吹き抜けに誰かの叫び声がして振り返る。廊下のずっと奥の方を、ばたばたと駆ける官人の姿があった。昼寝してる奴を起こそう、との声に、呑気なもんだなぁと笑ってしまう。
中庭からちょっと歩けば大堂につく。配属の発表を受けた方々の官人が一堂に会し、結構な大所帯だ。でも、この光景も今日で見納め。彼らの多くは昼食のあと、管轄の都市へと散ってゆく。
俺も同じく、三日後の議会が終われば任地へ向かわなきゃならない。帝国領の最南端、ワーヒド市。ハウディ陛下が一番最初に手に入れたその街が、俺の最初の仕事場になるわけだ。
入り口の前まで来ると、押し寄せた連中が所狭しと詰め込んで、礼拝が始まるのを待っていた。最前列に総督仲間の姿がある。振り返ったザラームと、その視線を追ったネメシスが俺達に気付いて、こちらに手を振る。
今行くよ、と叫ぶかわりに、俺も大きく振り返す。
一歩踏み込もうとした時、袖がくいと引っ張られた。
不思議に思って振り返ると、リドワーンが唇をきゅっと結んで、俺の目を見ている。
「なに?」
「えーと、あのさ」
ごほん、と下手くそな咳払い。
「確かに一人だけ南部っていうのは寂しいよねって、ジブリールと話したんだ。それで、ちょっとした計画っていうか、目標なんだけど……」
「うん」
「当面がんばって制度を整えて、帝都の事が落ち着いたら、いずれ呼ぼうと思うんだ」
言いつつ、リドが目を逸らす。
黙って見ていると、だから、と仕切り直して、こちらへ向き直る。
「ヘイダルもこっちへ来て、また皆で一緒に仕事できたらいいねって。建国軍の頃みたいに陛下と、ネメシスと。だからそれまで待っててね。絶対に君を呼ぶから」
いよいよ照れたらしく、リドワーンはへへっ、と笑った。
「実は俺じゃなくてお前が寂しいんじゃねーの」
「違うけど! いや違わないけど。でも良い考えだよね?」
「うん。良いと思う。是非にそうしてほしいね」
拳を突き出す。リドも嬉しそうに、そこに拳をぶつけた。
「じゃあ、約束したからな」
リドワーンはうん、と大きく、満足げに頷いた。
その胸元に、総督格の身分証明となる、青いブローチがきらりと光る。
いよいよ大堂が埋まってきたのを見て、慌てて二人で扉をくぐる。
確かにそれは良いかもしれない。というか、むちゃくちゃ良い。
呼ばれるのを待ってる間に、爺さんにならなきゃいいけど。或いはこの相方ならすぐにでもやり遂げてしまいそうな気もする。なんせ文官の筆頭にあたる大総督だ。
まあ、長くかかってもいいんだ。時間はいくらでもあるんだから。
建国前、四人でふざけていた頃の時間を思い出し、ひとりでに変な笑いが漏れた。