シーマファ市旧市街、宿"ジャンナト"。
 市内の全土で見てもおそらくは最も古く、またもっとも広く敷地を持つこの宿は、市の公式商会の契約宿として、遠隔の地より市議会に招かれた要人達の旅の疲れを癒す。数年前あたらしく宿の持ち主となったのは、街で人気の料理人テイア氏。旅の季節を外れ、落ち着くはずのこの時期に、彼はいま忙しなく手を動かして、湧いて出てくるように大量の布類を中庭に干している。

 その横を、手伝うのか遊んでいるのか、馳けまわる少年がふたり。
 今しがた干した大きなシーツに包まったり、剣の鞘を振り回して、楽しそうにはしゃぎ笑っている。

 ――テイア氏の友人であり、市議会に席を持つシーマファの大商人ハウディ・アル・カリムが、議会の反発を退けて兵をかかえたのはつい半年前の話。この沙漠でもっとも名を馳せる悪党集団「黒の盗賊団」から引き抜いた手練れの剣士を連れ、瞬きの速さで沙漠の集落を制し、その勢力を拡大している。
 街でもっぱら噂の的となり、市民の期待と恐怖の対象としておそれられるその盗賊達は、この宿"ジャンナト"を拠点に定めて、衣食住のあてとしている。テイアの方も、快く彼らを迎え入れたという話だ。

 そして今、テイアのそばでふざけている少年達もまた、その盗賊の一味である。




「こら、手伝うって言ったのはどこの誰だ?」
 テイアの言葉に、ヘイダルとリドワーンは、顔を見合わせてにやにやと笑う。

「なんだよ、手伝っただろ。さっきカゴを運んだ」
「ああ、それはありがとう。で、もう終わりか?」
「終わり、終わり。俺ら訓練で忙しい」
「どこが訓練だっ」
「テイアさん、僕お腹すいた」
 少年達が言うと、テイアは大きく溜息を吐く。

「まあいいよ、昼飯を早めに作るから、これが終わるまで待っててくれ」
「ほんと! ご飯が出るなら僕、手伝うね」
「あ、じゃあ俺も俺も」
「現金な奴らめ」

 いち市民が見れば、この少年達が盗賊なのだとは、思いもよらぬ光景だろう。
 テイアもまた、彼らがふだん大人に混ざって剣を振り、人を殺めすらする子どもなのだとは、隣で過ごしていても決して信じられないのであった。正直、弟のような息子のような、それに似た情を抱いてすらいた。

 宿に向け、入ってくる馬が一頭。
 中庭の様子を眺めていた男、ハウディは、目線をそちらへ移し、大きく腕を伸ばす。
 馬を御す男もまた、ハウディの姿を目に留め、手を振り返した。
 ハウディは中庭へ声を投げる。

「テイア、ファドルが到着した。馬舎を教えてくる」
「ああ、よろしく」

 テイアが頷くと、ハウディはくるりと踵を返す。
 少年達がはしゃいで後を追おうとすると、テイアはその首根っこを掴む。

「こら、お前達は俺を手伝ってくれるんじゃないのか?」



「よ、ハウディ。景気はどうだ」
「まずまずだ」
 ハウディが言うと、男はからからと笑う。
 この男は"黒の盗賊団"幹部、黒刀のファドル。頭領補佐として、盗賊達の指揮をとっている。

「次はイスナーンだってな。あんな何も無い所を狙ってどうするんだ?」
「さあな」
「何も無いと言やあ、まあ、今までの村なんかもそうか」
 ファドルはうーん、と考えるふりをして、ゆっくりと顎髭を撫ぜる。

「盗むものどころか、住人の食べるものすら足りんで喘いでるような土地というのに」
「そういう事実も確かにあったな」
「よほどの物好きと見える。あんたは本当に変な奴だ」
「放っておけ」

 つっけんどんに返すハウディ。
 ファドルは彼の顔を見てにやにやと笑い、ひとりでに納得したように頷いた。

「どうも、施しが目的だそうだな。うちの部下から聞いた。征服した村の者も言ってる、評判は沙漠のあちこちに広まってるようだぞ。ハウディ・アル・カリムは殺戮者でなくて救世主だと」
 その言葉に、ハウディはぴくりと眉を動かす。

「いや、かっこいいねえ。でも困ったもんだな」
「何が困るというんだ」
「俺達だって、ここらじゃあ救いの義賊で通ってんだ。ライバル登場じゃねえか」
「どうだかな」
「はあ。相変わらず冷めた物言いだ」

 ハウディは短く息を吐いて、肩をすくめた。
 ファドルは上機嫌に茶を飲んで、手前の皿からつまみあげた角砂糖を口に放り込む。
 じゃりじゃり、豪快にそれを噛んだあとで、男はパシンと手を打った。

「ハウディ。うちのお頭はあんたのやる事が気になるようだぞ」
「どういう事だ?」
「喜べよ。イスナーンの件、人手が欲しけりゃあ新しく兵を貸そうと言ってる」
 ハウディは長い睫毛をはじいて、ぱちくりと瞬きする。

「……本当か? 何故?」
「さあな。あんたのやり方が好きなのか、はた略奪物が目当てか」
「略奪はしないつもりだ」
「あんたがそうでも、うちのが付いて行けばそうなるさ。あの街――ディルムトはその昔、金の都だったと言うじゃないか。あんたが切り口を開いてくれるなら、俺達が進むのもずいぶん楽になる」

 楽しそうに話すファドル。
 対してハウディは、相変わらず不機嫌な顔で、唸るように溜息をついた。
 どうしたものか、と呟いて腕を組む。

 ファドルは目を細めて、彼のそんな様子を見つめる。

「なあ、ハウディ」
「何だ」
「お前、これは噂だが――カラホトへ行くのか?」
 ハウディが顔を上げる。ファドルはそうだよな、と呟いて、その目をじっと覗き込む。

「目的はそこなのか? シーマファの商人だ、その考えもよく分かる。あそこを手中に落とせば、この街は昔の勢いを取り返して、アッズィムを見返してやれるってもんだ」
「いや、そのつもりはない」
「真意は何だって構わんさ。でも、お前の反応を見るに、カラホトへ行くのは確実なようだな」
 ファドルが言うと、ハウディはまあ、と短く返し、相手へ話を押し返した。

「あれはカウィのいる街だぞ」
 ファドルが言う。その視線は半ば睨むように、目の前の男を射抜く。

「ネメシスに何か聞いたか。もしくは、あいつが何か話したのか」
「いや。何も」
「だろうな。俺達にすら話してないのに、お前に言うはずがない」
 分かっているなら訊くな、と溜息まじりに呟いて、ハウディは椅子にもたれかかる。

「お前、同族殺しをさせるつもりか、ネメシスに」
 長い息を吐いて視線を戻すと、ファドルはこちらをじっと見ていた。

「いや。カラホトへ連れていくかどうかは、本人の判断に任せる。あちらから名乗り出て付いてきたとは言え、私が彼の全てを決めていい訳ではない。もっとも、決めたところで従う保証もないな」
 ハウディが言う。
 ファドルは残りの茶を飲み干して、勢いよくカップを机に置いた。

「そうだな。あんたは賢い男だ」
 呟きながら、ゆったりと脚を組む。

「でなきゃ兵は貸せないからな。百歩譲っても、ネメシスだけは意地でも渡さんさ」
 そうだな、と素っ気なくハウディが返す。
 手前の茶を一口飲んで、ハウディはその男をじっと見た。

「案外仲間思いなんだな」
「え?」
「盗賊というやつは。お前達は随分とネメシスが心配らしい」
「そりゃあ、ザラームが変わり者なだけさ」
 ハウディの言葉に、ファドルは豪快に笑った。

「他じゃ、盗賊なんてろくでなしばっかりだぞ。あんたらのお望み通りにな」
 言いながら角砂糖をまた一つつまみ、それを口に放り込む。
 機嫌良さそうに部屋の中の調度品を見渡してから、ファドルはにこにこと笑みを見せた。

「ハウディ。俺はお喋りな男だ」
 だろうな、と、ハウディは内心で頷く。

「ザラームはあんまり胸の内を余所者に明かしたがらないが、俺は相手が誰でも、何でも喋ってしまう。弟も俺に似てるんだ、あいつの場合は口で言うよりも、詩に書くのが好きなようだが。似合わんと思うだろう? あんなにぶすっとした奴が、うまい具合に綺麗な言葉を並べ立てて、詩を書くんだぞ」
「ああ。何が言いたい?」
「ふん」
 ファドルはあごひげを撫でる。
 ハウディは退屈そうに、小首を傾げて腕を組んだ。

「お前、お頭がなんで自分がこっちへ来ないか、分かるか」
 問われて、ハウディはしばし黙り込んだ。
「頭領だから動けないのでは?」
「そりゃあそうだが。あのな、お頭は何も、あんたを信用してないわけじゃないんだ。さっきも言ったが、俺が見るに、どちらかと言えばむしろあんたの事を気に入ってる。兵を貸そうかって話も、聞かずともこっちから協力したい風だった」
 ほう、とハウディが相槌を打つ。

「そんなに気になるくせに、お頭は動かない。うずうずしてるくせにな」
 この話をした時、ぷいと顔を背けた頭領の顔を思い出して、ファドルはくつくつと笑った。

「ハウディさん。あんたがこの先、うちの連中を引き連れて、もしもあんたが敗れた時のためだ。もしくは、うちの者が、あんたに愛想を尽かせて逃げ出した時のため。あんたがもしも裏切って、あいつらを捨てた時のため」
 ハウディはファドルの目を見つめる。

「つまり……」
「うん。大事な家族が路頭に迷った時、帰ってくる場所が無かったら、辛いだろう」
 ファドルが言う。ハウディは成る程な、と小さく返す。
 二人はどっかりと椅子にもたれて、各々に笑みをこぼした。

「そんな訳で、うちの大事な部下だ、よろしくしてやってくれよ」
「元よりそのつもりだ」
「この先、お頭があんたに本当に賭けるなら――いや、これは俺からは言わないでおこう」
 ファドルはわざとらしく、手を口で塞ぐ。

 ファドルが立ち上がり、ハウディがそれに続く。
 うーんと伸びをしたあとで、ファドルはまた、ぱしんと手を打った。

「じゃ、そういう事で、イスナーンの援兵の件、返事が決まったら使いでもよこしてくれ」
「ああ」
「あと、これは個人的な意見だが。本当にカラホトへ行くなら、確実に増援は必要になると思う。一筋縄じゃいかん街だ。ちなみに、その時は俺も手伝いたい。あんまり人には言わんのだが、俺とジャアファルは元々あそこの傭兵でな」
「そうか、有難い。よろしく頼む」
「ヘイダルとリドワーンは何処にいる? こっちも本題なんだよな」
 ファドルがきょろきょろと見回すと、ハウディは廊下を指差した。

「中庭でテイアと遊ん……洗濯をしてるが」
「お、そうか。じゃ会いに行こう」
「本題とは? 呼び戻しでもするのか?」
「そんな野暮はしねえよ。うちのチビが元気でやってるかと、様子を見るだけだ」
 ハウディはそうか、と頷く。ファドルは吹き抜けの廊下へ出て、中庭の様子を楽しげに見下ろす。

「本当はな、お頭が来たかったんだ。あいつらやネメシスに会いたいんだろうよ」
「……一応聞くが、では何故本人が来ないんだ」
「そりゃあお前、手前で決めて出て行った奴らを、ザラームが追いかけたら駄目だろう」
 ファドルがにやにやと笑う。ハウディも口角をあげて、ふっと短く笑ってみせる。

「野暮だからな」
「そう。野暮だから」

 ヘイダルとリドワーンがこちらへ気付き、大声をあげてファドルを呼ぶ。
 ファドルは手を振り返して、二階の廊下からひらりと中庭へ飛び降りた。テイアが派手に悲鳴をあげ、それを少年達が笑う。慌ててファドルの背中を追ったハウディは、彼が難なく着地したのを確認すると、廊下の手すりを握って、ほっと溜息をついた。

 三つ隣の個室から、昼寝から起きてきたネメシスが、ハウディと顔を見合わせる。
 おはよう、と声をかけられたのを無視して、ちらりと中庭を見、ああ、と苦い顔をする。
「喧しい声がすると思ったら」
「お前はファドルに会わないのか?」
「ええ、どうでもいいので」
 ネメシスはすたすたと部屋へ戻っていく。
 ハウディはそれを見届けてから、また中庭を眺めた。

「家族だそうだ、テイア」
 ハウディがぽつり、小さくひとりごつ。
 取っ組み合いを始めたファドルとヘイダル、それを囃し立てるテイアとリドワーンの声。
 ファドルの姿を見つけて、続々と中庭へ出てくる盗賊たち。


 陽は高く昇っている。
 シーマファの人々は仕事の手を止めて弁当を開き、家へ帰り、または食事を求める客のために、相変わらず忙しなく鍋を振る。周囲に広がる飲食街のものか、どこからともなく良い香りが漂ってきた。
 中庭の騒ぎは、まるでここが地上の楽園なのだと宣言するように、幸福の色を帯びていた。


 この小さな宿から駆け出してゆく、とある冒険を、その伝説を。
 ここに居る彼らが、その担い手になる事も。


 巡り来る過酷な運命を、いまだ誰も知らない。