大人の階段、ワン、ツー、ステップ
「ヘイダル、リドワーン。言っておくべきことがある」
軍内の格付けが終了し、三人で突っ立ったまま部下の稽古を見ていた時だった。
腕組みのままぼんやりとしていた王が、突然話を切り出した。リドのほうを見てみると、リドもきょとんとした表情で俺の顔を見ていた。リドが無言で首を傾げる。「何の話だろうね?」と、その視線が問うている。
俺もそれに合わせて、さあな、と肩をすくめた。
「はい、何でしょうか」
やや間をおいて俺が返事をすると、王はまぶたを閉じ、数秒おいてからまたぱっちりと目を開いて、俺の顔をまっすぐに見、それからリドに視線をやる。いつもに比べて、なんとなく話すのを躊躇っているように思える王の挙動に、俺はやや身構えてごくりと唾を呑む。
王が口を開く。
「許可を出そうと思っている」
一瞬、呆気に取られる。駄目だ全く何の話か見当がつかない。
このお方はいつも、言葉数が足りない。自分の行間で既に話が完結しちゃってる。
聞き返そうかと口を開いた時、先にリドが訊ねた。
「許可とは、何の許可ですか?」
「飲酒のことだ」
「うおおお」
思わず声が出た。二人の視線が同時にこちらへ向いて、ちょっとばつが悪くなる。俺はひとつ大げさに咳払いをした。それでもにやにやと歪みかける頬を、出来るだけそうさせないように努めながら、俺も話を継ぐ。
「どうされたのですか、突然。今まであんなに駄目だって言っていたのに」
「いや、その。昇格もあったからな」
王は胸の前で組んだ腕を解いて、俺達の視線を避けるようにそっぽを向いた。
「昨晩の酒宴、悔しそうに見えた。それが、どうも申し訳なく思えた」
どこか独り言のように説明すると、王はようやくこちらを向いた。
昇格というのは、先日の格付けにより、曖昧だった俺達の義勇軍内での役職が決定した件だ。今まではただ、ハウディ様が気まぐれに拾った孤児、ということで、半ば雑用係みたいな立場だった。それが、今後の本格的な"義勇軍"としての活動に向け、各々に重要な役割をいただいたわけだ。
だもんで、お祝いも兼ねて昨日は宴会をしたんだけど、大人が楽し気に騒ぐ酒の席からあぶれて、俺達は(特にまあ、俺が、)ちょっといじけていた。それが王の心に刺さったらしかった。
「もう大人になったということだ、お前たちも」
王は今度こそはっきりと、真面目な顔で告げる。
その、どうにもくすぐったい言い回しに、俺は危うく吹き出しそうになった。隣のリドワーンはただ嬉しそうにニコニコとして、ありがとうございます、なんて返した。俺もそれに続いてお礼を言った。
俺は今一度、口元に手をやってコホンと一つ咳払いする。
「では、今晩からはもう、酒盛りに参加してよろしいのですね?」
俺が訊ねると、王ははっきりと頷いた。無言のまま俺を見つめ、にやりと口角を上げる。
「酒癖が悪かったら考え直すからな」
「ええーっ。いや、何で俺の顔を見て言うんですか!」
俺が慌てて返すと、王はふっと柔らかく笑った。
「いや、すまない。お前はなんとなく大酒飲みのような気がした」
「ちょっとちょっと。リドの方が凄いかもしれませんよ」
「リドワーンがか」
言いながら、同時に視線をリドに向ける。
リドは突然に注目されて照れたようで、恥ずかしそうに手をもじもじとさせながら俺たちの顔を交互に見やった。ああ、なるほどなと納得して、俺は一人でうんうんと頷いた。王も俺のほうをちらりと見、小さく頷く。
こいつがとんでもない酒豪になるとは、到底思えない。いや、勝手な決めつけではあるが。
「な、何ですか……?」
すっかり困り顔のリドが言う。
何でもねーよ!とごまかしながら、俺はその肩をぽんぽんと叩いた。
「慣れない酒が口に合うかは分からないが、夕餉を楽しみにしておくといい」
王は目を細めて微笑んだ。俺達の祝いの話なはずなのに、この人も嬉しそうだ。
そういえば最近、王は表情が柔らかくなったように思う。以前までは、こうやって微笑む程度の柔らかさも無かった。「もっと笑えよ」と囃し立てるザラームに従ったのか、兵連中のくだけたムードに絆されたのか。経緯は分かんないけど、とにかく、やっぱり笑ったほうが印象が良いよな、としみじみ思った。
「私の顔に何かついているか?」
「いーえ。幸せを噛み締めていただけですよ」
俺はにっと笑い返してみせた。それから両腕を持ち上げて、大きく伸びをする。
「今日はいつになく良い食事になりますね。おいリド、今晩は寝かさねぇからな!」
ちょっとヘイダル、変な言い方はやめてよ、と顔をしかめるリドを見て、王と俺は声を出して笑った。