会議が終わった時、男は不服の表情で市長邸を後にした。
 ハウディ・アル・カリム。公式商会を率いる貿易商で、シーマファ市の名士である。

「ハウディ様、それではまた来週」
「ああ、また来週」

 官僚達に適当に愛想のない返事をしながら、足早に邸宅の門を抜け、大通りに出る。
 決して高くはない背丈、ある程度鍛えられた両肩に圧し掛かる責任は不釣り合いに重かった。

 ハウディは依然として晴れない表情のまま、隊商宿への道を歩いた。




「ハウディ様、いらっしゃいませ」

 宿の主人は人懐こい笑顔で、彼を出迎えた。
 ハウディはその顔を一瞥するなり、口をへの字に結ぶ。

「よせ。今少し抜けられるか」
「大丈夫ですよ」
 そう言うと主人は振り返り、ちょっと頼むぞ、と従業員に声をかけた。
 料理人たちが快く頷くと、主人はハウディと一緒に厨房を出て、休憩室へ入った。

 大きなソファに向かい合って腰かけると、ハウディが口を開く。

「いい加減にやめろと言っているだろう。お前に様付けで呼ばれるのは良い心地がしない」
 宿の主人は声をあげて笑った。

「仕方ないだろ。いくら俺でもさすがに世間体ってものがある」
「世間体とは何のことだ」
「やめろって。友人といえど、身分に差があれば、名前に様付けて呼びもするさ」
「お前はそんな考えの人間ではないと思っていたんだがな、テイア」
 この言葉に宿の主人――テイアは、どこかばつの悪そうな表情を浮かべた。

「まあ、本心じゃない。でももう大人だからな。俺の意思は関係ないだろ」
 その言葉に、ハウディは納得のいかない様子で肩をすくめた。

「で、急にどうしたんだ。会議で何かあったか?」
 身を乗り出して訊ねるテイア。ハウディは実に苦々しい顔で、深く俯いた。
「例の同盟の件、本決まりだそうだ。私が外交役になった」
「ええ!」
 その言葉に目を見開き、テイアが大声をあげる。

「ただの噂だと思っていたんだがなぁ。そんなに深刻なのか?」
「さあな。詳しい話はまだ聞いていない」
「西方の国に宣戦布告でもされたなら分かるけど」
「さすがにそれは無いと思うが」

 大げさな身振り手振りで喋るテイアに、ハウディは淡々と言葉を返した。
 テイアはふと動きを止め、友人の顔を見つめる。

「しかしまあ、ハウディが外交官っていうのは不思議だな。こんなに無愛想なのに」
「おい」
 ハウディが即座に低い声を返す。
「冗談だよ」
 テイアが愉快そうに笑うと、ハウディもようやく表情を和らげた。

「でも、軍事同盟を結ぶってことは、つまりゆくゆくは戦争になるのかな」
 にわかに肩を落とし、テイアが呟いた。
 ハウディは足を組み、眉を寄せては、じっと考え込む。

「私もそこを考えたが、西の人達が国家を上げてこちらへ攻めてくる事は無いと思う」
 ハウディが重々しく言った。
「そうだろ。俺もそう思うんだよ」
 彼の言葉に便乗するように、テイアが大きく頷く。

「西からも客が来るけど、あっちはあっちで大変な状況らしいからなあ。そもそも、そうやって普通に旅行や商売で客が来るんだから、あれが敵とは思えない。本当に、良い人ばっかりなんだよ」
 ため息交じりに、テイアは言う。

 2人は無言のまま目を合わせ、じっと見つめ合った。
 ハウディが先に口を開いた。

「あまりこういう事は言いたくないが、市長の傲慢なのかもしれないな、今回も」
「経済同盟を組めばアッズィム商業圏に対抗できる、って事だよなぁ」
 頷きあっては、また揃って肩を落とし、分かりやすく落胆する。

 大きなため息の後、テイアは大きく伸びをして、一転して明るい表情を浮かべた。
「でもまあ、心配するような事は無いよ。お前が外交官なら」
 ハウディが顔を上げる。テイアが人懐こい笑みを返した。
 友人の顔を見るなり、ハウディもまた曖昧な笑顔を浮かべた。

「随分と他人事だな」
「お前だからこう言えるんだよ。期待してるぞ」
 テイアが上機嫌に言うと、ハウディは小さく頷いた。

「それで、本件は何だ。まさかただ愚痴るために来た訳じゃないだろう」
「ああ」
 ハウディは足を揃え、背筋を伸ばして座りなおした。

「部屋をいくつか貸してほしいんだが」
「さっきの話とは関係なしか?」
「いや、合っている。カルナクへ出かけるのに、護衛で兵を連れて行く事になった」
 ハウディが言うと、テイアはまた身を乗り出して、興味津々の様子で頷いた。

「でもシーマファには、市議会配下の警備兵しか居ないだろ」
「ああ。そういう、市長側に居る人間に頼るのは少し気が引ける」
「あ、ウチの客から戦える人を集めるって事か?」
「まさか。そんな突飛な事はしない」
 ハウディは苦笑いした。

 いや、お前ってけっこう変わり者だよ、とテイアが釘をさす。
 それから次の台詞を待つテイアの視線を受け、ハウディは声のトーンを下げる。

「テロイド砂漠の住人をこっちへ連れてくるんだ」
「はあ!?」
 ハウディの言葉に、テイアが大声をあげて立ち上がった。

「大げさだな」
「いやいや、だってお前、砂漠ってつまり」
「盗賊の事だな」
「はあ!?」
 もう一度叫ぶなり、今度は素早くソファに腰を下ろす。

「お前、それ……いくら市長が嫌いだからって」
 テイアはすっかり呆れた様子だ。ふんぞり返るように、ハウディが腕を組む。

「好き嫌いの問題ではない。やり方や考えが私と違うだけだ」
「ああ、まあそうだけどさ」
「一晩でいい、泊めてほしい。夜の砂漠は話し合いには向かないからな」
「待て待て、俺は構わないが、そんな事して本当に大丈夫か?」
 テイアが話を遮ると、ハウディはテイアの目を真っ直ぐに見た。

「あの一帯はシーマファ市の管轄にある。そこに住んでいるのなら、都市を逃れた貧民であれ、盗賊であれ、シーマファ市民であることに変わりはない。彼らが悪なのではなく、彼らに救いを与えない体制が悪なんだ」
 ハウディはぶっきらぼうに言葉を吐き捨てた。

 テイアは口を開いたまま、じっと幼馴染の顔を眺めてた。
 が、やがてしきりに大きく頷いて、ソファの背にもたれかかった。
「全く、お前の考えのほうがよほど突飛だよ。でも、すごくお前らしい」
 テイアの言葉に、ハウディは小さく笑った。

「迷惑をかけるな。毎度の事ながらすまないと思っている」
「良いさ。俺とお前の仲だろ」
 いつもの人好きのする笑顔で、テイアは言った。

「それが貴方の決定なら、私はどこまでもお供しますよ、ハウディ様」

 形式ばって、恭しく、テイアが頭を下げる。
 男は目を見開いたあと、呆れたように微笑んだ。

「様付けはよせと言ったろ」
 その言葉に、テイアはまた声を上げて愉快に笑った。